2012年5月20日著

 

米国ナスダック市場上場の数日前、米経済紙ウォールストリート・ジャーナルに


「GMがfacebookに年間約1千万ドル(約8億円)を支払って行っていた宣伝広告をやめる」


といった内容の記事が掲載されていた。(後日の報道では、「検討」とのことであったが‥)


 

 

これは何を意味するのか。

 


いわずもがな、今月18日の米国ナスダック市場上場の報道に伴い主要メディアがコメント


していた通り、当該SNSの利用者のニーズは、経済的物質的価値の獲得ではなく、それ以外、

例えば、懐かしさから安堵の気持ちを得るなどメンタル的作用の獲得にあるといえるであろう。

 

 

 

依然として基幹事業であり、利用者のプライベートコミュニティの構築に欠かせない存在と


なった現在、ここにきて、若年層の利用者数が急増している。


 

弊職も身に覚えがあるが、変身願望の強い、多感な時期であるゆえの不必要なまでの個人情


報の公開、そして、「友達の数」の競い合い、


また、写真の中に映る本人のファッション(中には、露出度の高い、一瞬赤面してしまうか


の、タレント顔負けの写真。成熟した利用者にしてみれば、「若気の至り」との認識ですむ


であろうが‥)など‥‥。

 

 

再言ばかりとなるが、利用者の中には、別の目的に利用する者がいる。

 


それゆえに、確実に、今後ストーカー被害者の年齢は若年齢化していくであろう。

 

 

この予測を裏付ける一例を挙げると‥‥

 


先日、事務所の目の前にあるショットバーT3(東京駅周辺では珍しく黒を基調とした漆色を


配したシックで落ち着いた雰囲気の長いカウンターが設けられたバーである)で飲んでいる


と、オーナーが、

 


「昨日、秋葉原を歩いていたら、間違いなく一般人である20代ぐらいの男性が量販されて


いるデジカメを片手に、街行く一般女性に声をかけていたんですよ。何を話しているのかと


思い、耳を傾けてみると(男性)「写真を撮らせてくれませんか?」とたずねていたんです


よ。今の若者達は、普通にこんなことをするんですかね。」と。


 



これは、昨今の芸能関連業界の新たなビジネスモデルがもたらしている負の遺産であろう。

 


つまり、弊職の若かりし頃は、ブラウン管(液晶画面)に日々映る人物は己とは別世界の人


という認識が一般的であったと思われる。


ところが、昨今は、その距離を縮め「親近感」の付与により関連商品の購買欲に結びつける


というモデルが席巻しはじめていると感じている。

(いや、既にビジネススタイルとして確立しているのかもしれない。)

 

フェイスブックで、タレント顔負けのブロマイド写真や自己紹介等を、商業等の別の目的で


はなく、純粋に友人間でのコミュニティ手段として行っているとすれば、それは、将来にお


いてストーカー被害者の立場におとしめられるおそれを増幅させるものといえるのではない


であろうか。

 


前述の通り、この業界のビジネスモデルの転換?により、「事務所に所属するタレント」と


「単なる一般人」とでは、昔に比べてその捉え方における質的な差異が明らかに縮減し、


同質化することはないにしても、近似しつつあるといえるのではないであろうか。

 


ということは、あるタレントの熱狂的なファンが、何らかのきっかけで「このタレントとは


一緒になれないのか」と絶望・痛感した時(このタイプは稀であろうが)、また、このよう


な状況に陥らずとも、facebookで思いを寄せているタレントに似た人の写真が目に入ってき


たとしたら、どうであろうか。

 


更に、そこには、一般のタレントの場合であれば、決して入手不可能な詳細な個人情報が表


示されているわけである。

 


再言ではあるが、利用者の中には、相手を「個」としてではなく「もの」として誤認する者


がいるということである。

 


彼らの立場に立ってみれば、どれほどのインセンティブが得られる情報がそこに集約されて


いるかということである。

 

 


つい先日、グリー等のソーシャルゲーム会社が「コンプリートガチャ」が景品表示法違反に


あたるとの消費者庁の正式見解を踏まえて、各社対応に乗り出したが、


このように社会問題化してからの事後的対応ではなく、

(企業(株主等)によっては、極限までの利潤追求を欲するわけであり‥)


facebookにおかれては、


少なくとも、「未成年者」の登録にあたり、一定の制限、例えば、保護者の登録を前提条件


として要求されるとか(親のこの程度情報は勝手に入手できることから意味のない取り組み


ではあろうが)、


または、我が子の利用状況が親の目からみて適当でないと認められる場合には、その修正権


限を一定の手続のもとで親に付与するなど、


いずれにせよ、人口約70億人のうち、9億人が利用している現状に照らせば、


ほぼ、一夜にしての周知が可能といえ、


一か月程のスパンを設定して、メディアを通じて、少年少女達の利用状況の中でも、犯罪の


契機となりうる個人情報を安易に提供している若年層への警鐘の機会を、「被害の未然阻止」


を企業の社会的責任の1つのキーサードとして、大々的に「少年少女」を対象としたキャン

ペーンというかたちで実現すべきではないであろうか。

 

 


マイナス面の指摘ばかり続いているので、利用者の1人として、一つの提案をしてみようと


思う。(ただし、誰でも感じているものではあるが‥)

 


依然として主要メディアであるテレビ番組の視聴率の低迷が続いているとの記事等をよく目


にする。

 


以前このノートに記載した一世帯当たりの平均視聴率がここ10年変わらず120分前後で


あるというリサーチ結果が現実を反映しているのであれば、以下のようなコンテンツを


facebookに組み入れるというのはいかがであろうか。

 


昔から、景気低迷期においては、番組予算の都合上「料理」番組が増えるわけだが、


弊職も視聴している時にときどき「これは食べたい」と思うことがあるものの、


「店名」「所在場所」「営業時間」「値段」等、知りたい情報が番組によっては表示される


ものの、ほんの一瞬であり、そのメモは不可能である。

正直、その後でHPで改めて情報を入手しようとまでは思わない。

 

また、facebookは箱ものであって中身がない。


中身を埋める要素(話題の提供等)の1つに、テレビ番組が挙げられている。

 

そこで、


facebook上に利用者の設定によっては、各テレビ局の「ch」が表示されるようにし、


飲食店の商品を紹介する番組が放送されているとき、その「ch」


をクリックすると、その番組内で紹介された「商品」「値段」等、視聴者が欲する詳細な


情報が表示されるというのはどうであろうか。

 

 

facebookを利用しながら電話やメッセージで会話を楽しんでいる恋人同士であれば、

こんな感じになるのではないであろうか。

 


「ねえねえ、今、たかとしが食べてるエッグタルトおいしそう~」

 


「ボリュームがあって、食欲がソソラレルいい感じの焦げ目がついているな~」

 


「facebookの画面下に、「北海道札幌市〇〇店」だって‥‥遠いね。」

 


「今、見た。北海道か~。あ、最後の方に、「取り寄せ可」って表示されているじゃん。」

 


「あっ、本当だ! どうしよっかな、ねぇ、どうする。」

 


「facebookは、「注文」をクリックすれば、facebookに登録されてある住所に配達される

 
 から、面倒な入力作業が無くて便利だよな。


  その反面、購入前の慎重な吟味が消費者には要求されるわけだ。

 
特に、「数量限定」という文言には要注意だぞ!」

 


「固いことは抜きにして、来週末、一緒に食べたい!」

 


「わるい、わるい、いつもの癖で。10個で4000円。

 
  ちょっと、高い‥‥‥、が、一緒に食べたい。


う~ん‥‥よし、‥‥‥「注文」をクリックしたよ。    」 

 


「やった!」

 


と、いうような感じであろうか。

 

 

 

 

  ~ 独り言 ~

 

最近、昼休みなどにおいて、一服しながら思いめぐらせることといえば、

 

「許認可事業部、成年後見事業部、商品販売事業部、学校教育事業部、受験教育事業部、

被害者支援事業部、出版事業部、‥‥ 」

 

 

弊職も、この国における平均寿命に照らせば、折り返し地点を過ぎたところ、

 

孔子曰く、「30にして『而立(じりつ)』、40にして『不惑(ふわく)』、‥‥ 」

 

 

私事ではあるが、弊職は家庭の事情により、高校2年の晩夏から独り暮らし、高校卒業

時から、日常生活費、予備校費、受験料、大学の授業料、家賃、遊行費その他一切合切

を(大学4年生の1年間は母親の元で居候生活。)労務の提供の対価により‥‥、

 

経済的自立は20歳前からと早かったものの、その反動もあってか

経済的活動という意味での職業において「決断」という選択をする時期が未だ訪れてい

ないという由々しき現状にある。

 

 

このご時勢、生活の足しにとアルバイトに励まれる大学生も少なくないであろう。

 

ただ、大学の講義を差し置いて生活費の捻出にこだわるという姿勢は、正直、明らかに

「不徳」であろう。

 

この情報化社会、社会人になるための準備期間に身を投じられる方々への手厚い制度は

十二分に用意されていることを容易に知りえるのであるから。

 

 

今振り返ると、大学生時代は、分刻みの生活であったものの、それでも、講義にはほぼ

出席し、また、大学4年間、ボランティアサークル「のびっこ」(だったと思う。今も

現存しているであろうか?)に所属し、月に1度、自閉症等と診断された少年少女達と共

に有意義な時間を過ごしており、メンタル的には充実した学生生活を送っていたといえ

る。

 

 

また、試験前には弊職のノートの写しが手にとられ、さらに、卒業後、仕事先で同学部

の後輩に出会ったときに、「先輩の実験レポート、過去レポとして重宝されていますよ。」
と‥‥。

 

大いなる自慢話になっている感を恥ずべきところではあるが、

大学生たるもの、「できる」無理は可能な限りされるべきであろう。

学問研究であってもよいし、それ以外であってもよいであろう。

 

でなければ、なににおいても「本質」を捉える「知」たる力は備わらないであろう。

特に、「男子」学生・諸・君・!!

 

 

 

ワーキングプア経済環境をここ15年近く歩んできた者であり(正直、経済生活において

惨めだと感じたことはないのではあるが(独身だから当たり前であろう))、説得力には

欠けるのだが、明らかに社会的貢献という客観的評価を伴うクリエイトをなされたといっ

た特別の事情がない限り、経済的価値の獲得が日々の社会的経済的活動の原動力であると

しても、極端なまでの物質的豊かさの追求手段への迎合を恥じ、そろそろ、主客転倒の四

文字を正面から受け入れて、自身のメンタル的欲求(物質の獲得の結果に伴うメンタル的

満足以外の)に照らして自身の時間の大半を注ぐべき対象が何かを専決事項と位置づけら

れるべきではないであろうか。

 

 

「これだけ豊かな経済的物質的生活を営める社会的活動(職業など)だから」という動機

で生涯スキームを構築するという姿勢は、ここ数十年の凄惨な事件増加の契機となってい

るいくつかの社会問題に照らせば、わが国も含めてこれからの先進国が選択すべき社会的

理念としての意味合いは既に喪失していると捉えるべきではないであろうか。

 

 

 

最近、「経営理念」に共感でき、なによりも、「人情」、

換言すれば、

昨今の金融危機の終息後直面するであろう先進国が先進国であり続けるために新興国等に

共感を伴う形で提供すべきインセンティブを如何に具現可能なものとしてグランドデザイ

ン化できるかにおいて、

過度な競争原理(本質と乖離した手段等に迎合した)による経済社会の飛躍的発展に変わ

る、経済的物質的発展とのバランスを重視した社会的道徳的人間関係の構築の重要性をコ

ア理念とされておられる、弊職よりもひとまわり以上年上の方に出会うという機会に恵ま

れ、必須の社会的理念の一つである世代間の連結性に重きを置かれておられるこの方と日

々業務をご一緒させていただくと伴に、様々なご教導を賜る中で、

 

 

例えば、許認可事業であれば、頂く報酬額に見合ったサービスとして、手続上の事務処理

に加えて、その後のクライアントの発展に資するコンサルタント業務に従事‥‥

 

また、成年後見事業であれば、現に後見制度を必要とする方々以上に、

一線を退かれた方々に対して、早朝1、2時間、体を動かす仕事に従事することの重要性

等の未然防止策の提案‥‥

 

 

また、母親が離婚する迄の経緯を振り返り、その未然防止策として、

夫婦生活において、それ以上に、生活を共にするパートナーと決断するまでのプロセスに

おいて、欠くべからざるものを(あくまでも数多くある中のひとつのメルクマールとして)

提唱‥‥

 

 

更には、中学受験算数においては、経験者からしてみれば明らかに常軌を逸した謳い文句が

巷に横行している中で、弊職が受験当時先人達からご教導頂いた高い確率で結果が伴う指

導理念に基づく教授‥‥

 

そして、最後に、被害者支援事業部(特に、DV被害者、不倫被害者、ストーカー被害者)

に関連して、自身の経済的活動の継続性を担保しつつ、自身のこれまでの見聞・体得を伴

う男女間に稀に生じる由々しき事態(極端にいえば、先進国に特有の)に対する鮮烈なる

苦言をいかにして組み込んでいくべきか、

この点に関しては、まさに、マーク・ザッカーバーグ氏が日々言及されている「人と人と

をつなぐことこそが‥‥」が具現化されている「facebook」の多いなるリテラシーが要求

されているのではないかと、

 

等、これらを日々地道に実践して行く中で

現状のマイナス面を正面から指摘し、その排斥を可能とする新たなモデルケースを提案

(そのコア部分の殆どは、先人達が採用していた、合理的でない手法であろう。問題は、

その淵源に新たな何を付加させていくべきか。)し、社会的経済的貢献(クライアント

の事業の成長)を伴った自身の日常生活の継続的営みが可能となるのか、

換言すれば、まがい物とは異質な経験に裏づけされた実質を伴う技術・サービス等の提

供により、「平凡」な(これが実をいうと最も困難な課題)経済的物質的生活を営むに

足りる経済的利益が伴うか否か、

そして、これらのノウハウや大げさにいえば理念のようなものが次世代の方達に伝承さ

れうるものであるか否かを自身で確かめる時期と感じはじめている今日この頃である。



                                               Kenichi yoneda

               

                

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