2012年5月27日著

 

今週、某女性アスリートの「なりすまし」facebookの発覚が報道された。

 

 

これに関連して留意して頂きたいことは、

特に、20代前後の女性の方々に対しては、


懐かしい関心を寄せていた異性から突然facebookを通じて「友達申請」を受けた際、


安易にfacebookのメッセージを利用して待ち合わせの場所・時間を設定し、確証を


得ずにその待ち合わせ場所に決して足を運ばれないことである。


かならず、男性(ケースによっては同性の同級生であっても)の携帯電話番号を聞


いたうえで、直接連絡をとり、声色などから本人であることを確認した上で、その


後のアクションを採られていただきたい。




これから学生の方々は長期の休暇に入ることからも、羽を伸ばすことは多いに結構


であるが、その開放感(人によっては空虚感であろうか・・)に懐かしさが加わる


ことによる自制を欠いた行動は厳に慎まれるべきであろう(自制を欠いた態度の方


が一時的には多大な経済効果をもたらすのであろうが…)、そして、それ以上に特


定の人物からの情報提供に対しては、自身の判断のみで対処するのではなく、心躍


る人物からの「直接会いたい」といった文言を伴う「友達申請」に対しては身近に


いる友人等に確認するなどしてその「真偽」を確認して戴きたいものである。



このことに直接関係することではないが、



利用者の「人柄」、特に、個人的人間関係の形成に対するクレドゥを知る上で、


その利用者の当該SNS上の「友達」の意義の捉え方が重要な判断材料の一つとなり


うるのではないであろうか。

皆様方も自身の友達のみではなく、全く無関係の利用者の「友達」の写真等を御覧

になられれば、その人物が当該SNSを個人目的とそれ以外の目的のいずれで利用

されているのか、それに加えて「人間関係に対する捉えかた」、前言とおり、「友

達=友達」と「友達=知り合い」のいずれと捉えて利用しているかの判断は容易に

なしうるであろう。



「友達=友達」と捉えておられる利用者についていえることは、当然のことながら


「友達」の数は多くない。


あたり前である、ひとりの人物の「人と成り」を把握するためにどれほどの時間と


努力を要するかを昨今の若人達(の一部)は体得すべきであろう。



一方で「友達=知り合い」と捉えている利用者については、「友達」の数が多いと


いえる。


これは、前者については利用目的が個人目的、後者については個人目的以外の目的


で利用していることとにリンクするであろう。



更には、前者は「利他的性格」の持ち主であり、後者は「利己的性格」の方が強い


人物であるといえる余地はあろう。



その根拠としては、当該SNSとストーカーとの関係で説明すると、



当該SNSのストレンスは「無限のつながり」である。



例えば、後者の目的で利用しているA氏の「友達であるF子」を同氏の「友達B氏」


の「友達C氏」の更に「友達D氏」の「友達E君」が関心を寄せ居ているタレント


女性に酷似しているという理由で「ストーカー」行為に及ぶ可能性はゼロとは言えな


い以上、前者の利用者であれば、そこまでの配慮のもとで、自身の当該SNSの利用


環境を設定されておられると認識している。


そして、このリスクは、御多忙な日々を送っているという理由もあろうが、前者目的


の利用者で「慮る」配慮を欠かさない利用者の「友達」の数は多くはないという理由


にもあたるであろう。




加えて、芸術性との関係を加味するといささか次に述べることが難しくなるのであ

るが、
「写真」は「実名」を担保する役割を果たすもの(と弊職は捉えているのである

が、)
であり、弊職が前者の利用者の方々の「写真」を拝見させて頂く中で共通点を

挙げるとすれば、
特に何の変哲もない場所を背景に昔の友人知人であれば当の「本

人」と認識しうる程度
のやや不明瞭な画素数が多くはない写真を使用しておられる

ということである。



また、「写真」を貼付しておられなくとも、「姓名」」とその利用者の「友達の姓名」


から十分にその人物を特定できるであって、「実名性」の担保は「写真」以外によって


も確保されているといえるのではないであろうか。



ただ、「写真」が使用されていない昔の友人と同姓同名の利用者からの「友達申請」に


対しては、たとえその「友達」の中に当時の仲間等が表示されていたとしても、念には


念といれ、当時の出来事やニックネーム等を活用して「真偽」を確認する必要があるで


あろう。




最も確実なのが「メッセージ」等を利用して「メルアド」ではなく、「電話番号」を交


換するということであろう。





~ facebookへの提案? ~

「物々交換」機能の付加はどうであろうか。


「住居地」という「つながり」を利用するわけである。


facebookを契機とする物流に関しては、提携会社から一定額のキックバックを要求する。


同一エリア内であれば、いちいち物流センターへ収集することは不要となり、


その店舗同士で簡潔な物流システムを構築すればたりるのではないであろうか


たとえば、街中でよくみかけるビル一階テナントに入っている運送会社配送センターに


譲る人が持ち込み、一時保管料を支払って、後日譲受人が受領しにくるという感じであろうか。







~ 弊 職 の 独 り 言 ~



先日、久しぶりにプライベートでうれしい出来事があった。


アトラクティブな心の持ち主から「近いうちに戻ります。」と……。


先週も若干述べたことではあるが、


高校2年生の晩夏から独り暮らしをはじめたわけであるが、


当時、経済的ゆとりはなく、また、自身で選択をしたこともあり、生活費の一部の

捻出のため、
アパートの近郊のスーパーで、週に3,4日程、放課後、生鮮食品等の

裏方のアルバイトを母
親の元に戻るまでの半年ほど行っていた。



当時を今振り返ると、精神的にも、肉体的にも、経済的にも、限界を明らかに超え

た状況に
あったと思える。特に、「精神的に」であろう。


(正直、メンタル的には強いタイプの人間ではないのであろう。)



ただ、この当時は、世間一般に評価されている「安っぽい正義感」を貫徹する、

ただ、それだ
けが支柱であったと思われる。



一方で、「気を紛らわしたい」という欲求は強かったといえる。



人によっては、生きていく中で相手との関係を「絶つ」という決断をされる。



ただ、そこには一見、美学的な意味合いがこめられることもあるが、


長い眼でみれば、そこには、「真っ白な新たなる道」は伸びているものの、


それまでの軌跡もまた「真っ白」という空虚感が漂っているだけである


と現時点では認識している。



弊職の場合は、「戻るところ」に「人」がひとりもいないと判断したわけである。

(いまでも、この判断に揺らぎはない。)


しかし、「1人でもいる」との実感をもたれておられるのであれば、




そこは、   「戻るところ」、




いや、    「居るところ」・・・・なのである。




自身の不甲斐なさも相俟って、ない弊職にとって、



ひとごととは思えず、久しく感じたことのなかった昔懐かしい「温かさ」に




ふれることができた心に残るよき週末となった・・・・「ありがとう」。



                                               Kenichi yoneda

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

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