平成24年7月15日

先週、警察庁から発表があった同期の申請件数等を比較すると、


いままでストーカー行為が日常的行為に埋没しており、そして、被害者でありながら


も一部のメディア等による「ストーカー」という語彙の軽率な扱い、そしてその影響


による巷での「冗談」の一部に組み込まれてしまっている現状からすれば、


その犯罪の潜在的重大性を意識することができなかったことに一定の理解を示すこと


は可能ではあろう。

 


しかし、桶川事件、そして、長崎事件を、時代の流れ、つまり、社会構造の変化に伴う


個々人の価値観、特に、この犯罪に関していえば、倫理観の多様化、特定の側面のみを


強調すれば、モラルハザードの波及効果の甚大さの象徴とと捉え、「慮る」意識が希薄


化された人格に基づく行為には際限がないということを風化させぬ努力を継続して

いく
ことが求められているであろう。

 

 


先週述べさせてもらった同法改正の早期実現に関して、

 


「配偶者からの暴力の防止および被害者の保護に関する法律」の

 


第二章 配偶者暴力相談支援センター等

 


を参考にされ、

 


「第〇章 ストーカー被害者支援センター等」

 


なる一章を新設することも検討する余地はあるのではないであろうか。

 


前記2つの事件を契機に(違和感はぬぐえないが)、現状において、

警察はその申請「受理」等
を無碍に断ることは少なくなったといえる。

 

弊職の考えではあるが、当面の企業等の不安定な雇用形態そして社会保障制度の

グランドデザイ
ンを描ききれていない現状に照らせば、ストーカー行為の存在自体が

希薄化することはなく、
今後も益々その存在感が増していく可能性は高いであろう。



以前、このノートに「ミューレン」学者による分類について触れたが、


弊職が最近思うに、「拒絶型」「憎悪型」「無資格型」「親密希求型」等に分類されると

いうが、
これらすべて、

雇用の不安定等  → 空虚感や自己の存在感の喪失の常況 →


その状況下で「まことの優しさ」への接触

 → その優しさに自己の人生の終局的存在意義を追求



という流れから、相手の「まことの優しさ」に対する大いなる誤認にあると現時点では

捉えている。



そして、昨今、「まことの優しさ」を備えさせることへの大人の努力そのものが疲弊して


しまっている。(都会に特有の現象ではあろうが)


この資質を備えた人の総人口に占める割合が減少の一途と辿れば、それに比例してそ

のインパクト
は相対的に増大する。

 



ある面、DV加害配偶者と精神面で類似点は少なくないであろう。

 



DV加害配偶者の問題とされている心情部分は「さみしい」にあるといわれている。

 

 

 

 



特に大都市及びその近郊以外の道府県で成人位までを過ごされ、ご祖父母や

ご両親や叔父叔母から
無垢なる心を育んでもらえた若人達、特に女性の方は、

よほどの環境や対応策等をおもちでない限
りは、初対面での対応に、これに関しては、

仕事とプライベートとで異にする必要性はなく、必要
以上に慎重になられていただき

たい。

 



大丈夫、多少の厳しさをもってのぞまれたところで、そのすばらしき無垢なる心が

かすむことはな
く、似通った環境で育った者には貴女の所為のいたるところにその心

が現れ敏感に察知してくれる
ものですから! 


そのような方に出会えるまで、ある程度の辛抱は必要ですけれどもね・・・。

 

 

 

 


話を戻すが、DV防止法における「配偶者支援センター」とは、


東京都でいえば、渋谷にある東京ウィメンズプラザのことである。

 


たとえば、DV被害にあわれている方が「接近禁止命令」等の保護命令を命じてもら

いたい場合、
その真実性の担保という趣旨もあり、その前提要件として公証役場で

公証人に「公正証書」を作成
してもらうことが要求されているのである。
                      (DV防止法12条2項)

 



しかし、東京の場合であれば、東京ウィメンズプラザに相談したという事実があれば、


「公正証書」の作成・提出が不要になる。

 


「公正証書」を作成する場合、御存じの通り、元裁判官等の公証人の前で、その殆どが

男性であ
ろう、その公証人の前で宣誓し、数万円の費用を要する。

 



一方で、東京ウィメンズプラザは女性職員が対応してくださり、女性の弁護士の方が

相談にのって
くださり、また、建物も現状きれいである。(渋谷 青山通り 国連大学

の隣の建物内 )
ただし、常駐されていないため、事前に予約の電話をする必要が

あります。

 



DVの場合、多くの被害者が女性であることからも、その配慮のもと、当施設を設置した

のであろう。



よって、被害に遭われている女性の方は東京ウィメンズプラザに事前に予約を入れ相談

していただき
たい。

 

 

 

 

では、ストーカー被害者支援センターなるものを設置するにあたり、人材、コスト、権限の

範囲を
いかに決定していくべきか。

 

 


もっとも問題となるのがコストであろう。

 

 


弊職の事務所が主業務の1つにしている「成年後見」業務に関して、


以前、このような話を耳にしたことがある。


「ある認知症の方の法定後見人に立候補された方が、選任される際、報酬は0円であると


裁判所で言われた。」真偽のほどは定かではないが………。

 


ストーカー被害者の支援員になるために、一定のペーパー試験・実務試験を課し、


支援員として国から認定された者は、自宅や事務所などを拠点として、特定のエリア

の住民
から被害の通報があった場合には、その調査から報告・支援におよぶまで、

備品支給等の

経済的援助にとどめ、原則として無報酬で地域社会の安全・安心に労力と時間と費用

を注ぐ
というのはどうであろうか。

 


「売名行為」という側面は否定できないが、国から「支援員」と認定されるだけ費用対

効果
を度外視可能なだけの社会的メリットは存分に得られると弊職は考える。

 


また、この活動を通じて、訴訟を抱えられている方、特に「人事訴訟」を考えておられる

は、専門職従事者の中から御自身が望む人材選択において相当な負担軽減という

恩恵を得ら
れるのではないであろうか。

 



さらに、ここでfacebookを契機とするストーカー事犯である場合には、


言葉の本来の意味からすれば適切ではないのであろうが、


「目には目を、歯には歯を」手法はどうであろうか。

 



あくまでも、支援員と被害者との連携が密であり信頼関係が築き上げられている


ことが前提ではあるが、


また、被害者と支援者の負担はかなりのものになるであろうが、


ストーカー加害者が行動でた場合、証拠が保全されている場合に限るべきであろうが


逆に、支援者がその都度「メッセージ」を使用して、その日のストーカー加害者の行


状をその加害者に対して報告するというのはどうであろうか。


「メッセージ」に用いる文言には細心の注意を払う必要はあろう。


その日における行為者の行動を客観的に記したものにとどめるべきである。


もし、制度化された場合には、研修等で叩き込まれることになろう。

 



繰り返し「メッセージ」を送信する行為には「公然性」は認められないことから、


名誉棄損罪、侮辱罪、そして、ストーカー規制法にも抵触しない。

 

 

 

 


学生の方々は来週あたりから待ち焦がれていた長期休暇に突入するわけであり、


変身願望をかなえるには絶好の機会でもあろう。

 


多感な時期に様々な経験をされることは悪くはない。

 


ただし、自ら望んで苦しい環境に身を投じ一生残る傷心を自身で刻むのであれば格別、

 


そうでない限りは、予想外の結果として回避不可能な苦しい経験、ケースによっては、

 


一生の悔悟の念に苛まれる事態を招来させぬよう、

 



例えば、facebookの公開情報をこの時とばかりに広げられ、

 

自身の「友達」、その中でも以前共通の「友達」という理由だけで「友達」申請を承認

 


したにすぎず、1度も会ったことのない「友達」から、

 



  「ひさしぶり~。 元気!! 今、ひ・ま・かな。これから3対3で飲み会しようよ。」

 



といった突然の誘いには特に慎重になられて頂きたい。

 


都内のハブ駅等のメジャーなカフェなどで隣席の若人達の会話の中で、


facebookの画面を一緒に見ながら、

 


   「あ、この子かわいいじゃん。今日、飲みに誘おうぜ。」

 

   「いいね! よし。いま、メッセージ送る。」

 

 


今昔問わず、好青年はいる。

 


しかし、言語化することに強い抵抗を覚えずにはいられないのではあるが………。

 


東日本大震災後、両親を亡くされ身を置かしてもらえるとの安堵の気持ちで向かった先で・・・。

 


人伝えに耳にした話ではあるが・・・・。

 


鬼畜同然の輩達(男性に限られない)が存在するのも現実である。

 

 



「親」「親代わりの大人」の育て方以外にその原因は見当たらない。

 

 


現代は、特に都内においては、

 

 


不条理な我欲の充足手段が「巧みな話術」に変容している。

 


これに関しては年代を問わないという点で、

 


特に、


若人(女性)達は「自身にとって心地の良い」言葉の連打には細心の注意を払われる

べきであろう。

 

 

 


一昔前は、     「 苦労は、買ってでもしろ! 」

 

 

 


20年位前は、   「 苦労は、金を払ってでもするな! 」

 

 

 


今はといえば、   『 苦労は、相手から金を奪ってでもするな 』

 

 

 


日頃、抑圧された家庭環境で学生生活を送られている若人達に・・・

 


発散は必要である。

 


発散の態様が背伸びをしたものである場合、

 


くれぐれも信頼のおける用心棒を引き連れていかれるようにしていただきたい。

 

 

 


~ 弊職の独り言 ~

 


今週末は、連休ということもあり、

 


10年以上御無沙汰であった朝帰り、

 


夕方から明け方迄のオフィス移転作業のお仕事に従事させてもらい、

 


久しぶりの「満身創痍」(大袈裟すぎである)の4文字に浸る週末を過ごしている。

 

 


・・・「朝帰り」・・・

 

 


いくつになってもこの感覚(24時間働いたという充実感)は変わらないものである。

 


  

                                Kenichi yoneda                     


         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

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