平成24年7月29日著


先日26日、4~6月四半期決算が発表された。


今後の事業計画の不透明感が払拭されるだけの明確なビジョンがしめされなかった

ということで、
その後の売りに拍車がかかったとの報道が。


一方で、収益源である宣伝広告事業においては32%増、


また、登録者数も上場来の3か月間で約55000人増。


トータルで、利用者数は約9億5500万人と…………



現時点で利用者総数は、四捨五入すれば約10億人、


これは、インドの総人口約12億人につぐ数である。



facebookという1つのプラットホームについて、


登録利用者数が大国の総人口を凌駕するレベルにまで達すると


営利企業の本質である資本的利回り計算をして利益を再配分するという営利性


自体が当該企業では後手後手に回される「公共性」に劣後するという逆転現象が


経営者の努力によっては不可避的な要素として生じているのではないであろうか。



facebookの特質の1つである「実名」登録。

仮に、将来その登録利用者数が現在の総人口約70億人の約50%である35億人を

超えた場合、
なにが起こるか。


日本では、2人に1人が実名を写真付きで自身の個人情報の一部を主体的に公開して

いることに
なる。


都心部においては、その割合はさらに大きくなっているであろう。


この段階にまで至ると、


例えば、ストーカー事犯についてみれば、中央区在住の者から警告の申出を受けた場合、


「無資格型」等のケースでは、犯人特定にfacebookは多いに役立つ可能性を有するツー

ルになり
うる。


なぜならば、このケースにおける加害者はあらゆるツールを駆使してターゲットの情報

収集にあ
たっているからである。


そして、このケースでは、実名を担保する写真が実名以上に加害者にとって有益な情報

源となり
うる。


また、加害者を特定するにあたり、「ウォール」の記載内容等は証拠レベルにおいて重要

な意義
をもつことになろう。


また、常にメディアが取り上げる「薬物事犯」についても、その利用価値は低くないとい

えるで
あろう。



facebookに関して、


素人目線で今後の収益事業を立案するとすれば、


地域社会の安全安心を脅かすファクターを早期にそれも的確に排除する上で不可欠な

情報を公金
を支出した捜査機関以外の地方公共団体がリアルタイムで入手可能なシス

テムを構築すべきとい
うことであろうか。


ここで、facebookに犯罪抑止等の公共性が加味されれば、将来にわたり犯罪者となり

うる人格を
備えた者の参加は減少し、当初目指していた目標の実現が困難になるので

はとの御指摘を受けそ
うではある。


しかし、犯罪的行為に及ぶ者の人格というものは、概して、経済的忍耐力や精神的忍耐

力等が十
分に備わっていない可能性が高いといえ、メールアドレス等若干の情報をそれ

も偽名であっても
入力するだけで、自己の欲するターゲットの情報が容易にそれも無料

で入手可能である以上、加
害者がコミットしない可能性は低く、ほぼその心配は無用で

あろう。



一方で、良識ある者にとって、高度な安全性を備えたツールに対しては高い利用価値を

認めるこ
とは間違いなく、その安全性の向上に比例して利用者数の増加を期待できる

といえるであろう。


よって、最近、TVで某セキュリティー会社がITを駆使したセキュリティーシステムを宣伝

してい
たが、専門性を有する人材の確保と犯罪抑止・検挙等に効果的なシステムの構築

により地道にそ
の実績を挙げられていくことがミドルスパンで採用されるべき新規事業

形態の1つではないであ
ろうか。




確かに、捜査機関は、強力な権限を付与されており、


刑事訴訟法第197条第2項


「捜査については、公務所又は公私の団体照会して必要な事項の報告を求めること

ができる。」 


確かに、この権限を行使すれば、公金を支出せずに犯罪検挙等に役立つ情報の入手は

可能であろう。


しかし、長崎事件のように、特に、対応の緊急性・迅速性が強く要求される特殊な事犯に

おいて、
法定手続に則った対応は、被害者救済の観点からは不十分であろうといわざる

をえない。


もっとも、法治国家である以上、

特殊事情の存在をもって、例外的措置が認められるという議論は拙速にすぎるであろう。


であれば、被害者救済に資する他の手段を日頃から常備することに知恵をしぼられるべ

きであろう。




地方公共団体が公金を用いて、特定のセキュリティー民間会社にその安全管理業務を

委託されて
いるように、捜査機関以外の地方公共団体が公金を用いてでも、犯罪の抑

止または犯罪の端緒と
同時に早期犯人発見に役立つ情報を入手したいと望まれるほ

どの有益な情報の提供が可能となる
までに成長して戴きたいものである。






~ 弊職の独り言 ~



5月下旬を締日とするトライアルとして受注させて頂いたお仕事に関して、


今週末、「引き続き、依頼したい」とのご連絡をいただくことができた。


この仕事は、開業以来初めて着手する仕事であったため、


ベテランの方から御教導を賜りながらの遂行であったわけであるが………


その経緯の中で、繰り返し生じたことがひとつある。


.         反  目

(誤解がないよう、決して悪い意味で用いているわけではない。)


具体的には、


.     費用対効果 vs カスタマーサティスファクション



弊職がノウハウを備えていないということで費用対効果を強調されたのであろう……


が、トライアル1回目の出来栄えは、素人目線でみても明らかに顧客満足を期待でき

るもので
はなかった。


1回目でその要領を掴むことができたということもあり、2回目のトライアルにおいて

は自身
納得できる内容に仕上げるのに必要な時間と労力を確保し、、気まずい雰囲気

を引きずりなが
らも、締切日当日、クライアント会社に足を運んだ。


トライアル1回目とトライアル2回目との形式等に相違があり、


締切日から既に約2か月が経過しており、その後の受注依頼を諦めていたところで

あった。




企業の構成員とは異なり、個人事業主の場合、特に費用対効果を重視した経営を

余儀なくさせ
られることは、他の諸先輩方の経営方針を垣間見させていただくなか

で、痛感しているところ
ではある。


が、特に、新規のクライアントであったり、数年ぶりの御依頼等のケースでは、


職務遂行にあたる自身が費用対効果の面について特に差別化を図られることがいわ

ずもがな、
重要である。


より具体的には、受注内容にもよるが、それが最終物ではなく、特定のフェーズに


限定された内容である場合には、次のプロセスにおいてクライアントが担う業務の具

体的内容
を伺う等して明確にし、クライアントの裁量に抵触しない限度において負担

軽減に資する事務
処理内容等を的確に把握し受任者にとって可能な範囲でその処理

にあたるということは、分野
や業務を問わず、ビジネスマンにとっての恒久的な心構

えであろう。


さらに踏み込んで、


顧客満足アップに直結するクライアントの負担軽減に資する事務処理等を的確に把握

する上で
必要な能力はなにか。


ここにおいても、ストーカー事犯の加害者の心情探究のレベルにおいて繰り返し述べさ

せてい
ただいている「慮る」という精神作用を自然体で発揮できる力であろう。



この「慮る」という精神力・・・


学生時でいえば、答案作成能力、


つまり、きれいな字である必要はないが、丁寧に字を書くという姿勢と


自己の意図が正確に伝播されるための論理の飛躍等がない文書構成能力


を鍛える中で無意識的に具備される力であろう。



もうじき、今年のお盆を迎える。



この能力にすこぶる長けていた、


中学・高校時代の同級生の中で右に出る者はいない

といって過言ではない彼が他界した。



御三家卒、東大卒、一部上場企業法務部、国際貢献活動、そして、容姿端麗・・・。



社会人になって以来、小学校・中学・高校・大学時の同級生等との関係が皆無で

ある弊職の現状、


そして、


中学・高校時、お互いの自宅からの最寄駅が同一沿線であり、何年間か一緒に

通学した者として、
この評価にある程度の客観性が担保されているといえ、


彼に対してこのような評価を致すことは適当であると考える。



仕事においても、プライベートにおいても、ここ10年間ほど、


男性では、彼をおいて他に、

女性では、以前このノートに記した20代前半と30代半ばに出会った2人の女性を

おいて他に
弊職自身、「慮る」礼節高き人物に出会えていない。


このすべての理由が弊職にあることの自覚はある。


つまり、


高き結果に対する執着心がなく、いわゆる「事なかれ主義」(経済的利益の獲得を

除く側面)
を基軸においた組織等に身をおいて日々の生活の糧を得ていた以上、

かかる集団において自身
が望む資質を備えた方々にお会いできることは皆無である。


高き結果に対する執着心と「慮る」礼節さは表裏一体の関係にあると弊職は捉えている。




また、現状における自身の環境についても、未だ「そこそこ」のレベルにしか至って

いないと
いうことである。




「慮る」という優れた精神力





国境の存在意義がある面薄れていく拍車がかかったグローバル化の波の中で、


先進国などの一部の国の声に依拠した地球社会から、すべての国の声に基づく

地球社会への構築
という変遷の中で、先進国から敬遠されがちな「慮る」という礼節を


次世代に伝える価値ある古きよき日本の伝統と捉えるべきか・・・・・・・・・。





2012年のお盆を迎える日で丁度16か月。


我々は行くことのできないところへ戻ってしまう前に、


このことについて、お嬢さんと息子さんの邪魔にならない程度に、


彼とゆっくりと話をしてみようと思う。



                         Kenichi yoneda                     


         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

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