2012年4月29日著

 


先週、関西でいたたましい事件が発生し、


その後の経過の中で、「個人情報」に深く関わる事態が生じた。


それは、亡くなられた被害女性の携帯電話番号を叔父(加害少年(18歳)側)の子供の


元担任であった現教頭がこの叔父に教えたというのである。


この件については、発覚した直後、その教頭の謝罪会見の映像と共に、全日の報道番組


で取り上げられていた。


 


ここで問題とすべきことは、当該教頭の被害者女性の携帯電話番号のリーク以上に、

被害者遺族に対する「同意の有無の確認」というプロセスを度外視したことであろう。

 


この年代の方々の中には、「被害者感情」に対する配慮が希薄な、いわゆる犯罪者(少年)


の更生可能性に対する期待に基づく過度の擁護意識と厳格な叱罰主義に立脚することに


より被る執拗なまでの人道的批判からの回避動機を強く抱かれる方々が少なくないという


ことであろうか。


 


最愛の人の命を奪われた者が、その直後、果たして、加害者からの直接の「謝罪」を耳に


したいと思うであろうか。


 


少なからず、若かりし頃、学校生活や家族生活等の中で、理不尽な扱い等を受けながらも、


その場を直視し、苦しみ貫かれた御経験をお持ちの方であれば、直後の「直接的」な「謝罪」


を勧めたり、助長させるような助言等をすることは、決してないであろう。


 


一方で、このような経験が皆無か僅少な者は、被害者立場ではなく、寧ろ、加害者立場に立


脚し、本能的に生じる責任回避欲から「謝罪」というプロセスに思考が向いてしまうので


あろうか。

 


被害者の立場に立つことは、なかなか困難であるのは事実である。


社会人となり、それこそ家族の大黒柱として日々生活の糧を得ることに一日の大半を注がれ


ている方々に、例えば、自身をパワーハラスメントの標的に敢えて立脚させ、その経験を通じ


て……などとは口が裂けても言うつもりはない。



現在、文部科学省の支援事業として一部のNPO法人が、初等中等教育機関において、


「いじめ」等のロールプレイングゲームを通じて青少年達に「被害者感情」の疑似体験の機会


を提供する等のプロジェクトを実施している。


 

弊職も含め、利用者に対してその利用を通じて様々な自己に有益な情報の入手の可能性を

付与してくれる、それも、いまのところ無料で。

   


であるが故に(直接的連結性は定かではないが)、SNSにおいては、本人にとって予測不可


能な「つながり」から派生する意に反する事態を招来させるおそれを秘めているといえるであ


ろう。



この事件に即した一例を挙げるとすれば、利用者の中には「電話番号ぐらい教えても問題は


ないだろう。」との認識でいる者が確実におり(当然、「同意の有無」を確認するはずがない)、


ある日突然「えっ」という者(最悪、見知らぬ者)から電話が掛かってくる可能性があるという


ことである。


 


とすれば、この転々流通性を有するSNSを利用する者としては、


公開すべき自己の個人情報の選別と共に、「友達」(かなり広義的多義的な意味を持つ言葉


としての)の選別についても、御自身なりのメルクメールを構築しておく必要があるあるので


はないであろうか。

 


私事ではあるが、弊職の当該SNS利用の契機は業務の情報交換にあった。


そして、昨年度末に他の情報交換ツールへの移行が決定となった。


もともと前述の経緯に基づく「友達」申請に対する「承認」であったため、


移行と同時期に、念のため「削除」する旨の事前連絡を入れた上で、現在「友達」人数は「0」、


これはレアケースであろう。


 


個々人によって「友達」という言葉に対する捉え方は様々であろうが、


例えば「友達」=「知人」と捉える者からの「友達申請」に対して、


「友達」=「知人を超える存在」と捉えている者は安易に「承認」をすべきではないであろう。


(私見ではあるが、「知り合いかも?」との表示と「友達」という表示との間に存在する意義が


捨象された記号化統一に米国特有の成果主義的経済至上主義的ビジネスモデルを感じざ


るを得ない。ナスダック上場迄のスパンをみれば、敢えて指摘するようなことではないが…)

 


この際、問題になることは、


弊職も含めて日本人気質から相手方からのせっかくの申し入れに対して断る明確な理由


がないということで、「承認」しないのはかえって失礼であろう等と「承認しない」に躊躇される


ということであろう。(結果的に「承認」をしてしまう。)


 


確かに、「承認しない」という行動にでれば、少なからず、確実にかどは立つ。

 


しかし、弊職のようなレアケースを除けば、「承認」後「友達から削除する」という手続きを


踏むことの方が、相手方に何らかの著しい落ち度があったといった事情がない限り、


困難であり、また、実行後に想定外の問題を招来させるおそれがある。

 


例えば、好ましくない方からの「友達」申請に対しては、放置できない事情がある場合、


「このSNSは、〇〇に限定して利用しています。

 せっかく「友達」申請をしてくださったにも拘らず、

 誠に勝手ながら私事の理由により「承認」をいたせず、心よりお詫び申し上げますと

 ともに、どうかご理解くださりますよう切にお願い申し上げます。

 今後とも、〇〇におきましては、変わらずの~               」


というメッセージを送信した上で、日々職場や学校等で顏を合わせる関係であれば、


その前後に、口頭で同様の理由を述べて、いつも通りの対応に終始すればよいであろう。


正直、このご時世、この対応で相手方は自尊心を傷つけられ、その後の関係がギクシャク


する可能性は相手によっては否めないであろう。


難しい場面ではある。

 

 


「友達」申請は、こちらの意思とは無関係に送信されてくるものである。


とすれば、自己の利用環境を最適な状態に近づけるためにも、


日頃から「友達」に対する自己の明確なメルクマールを確立されておくことであろう。

 


個人的人間関係に重きを置かれる利用者にとって、


当該SNSの無難な利用形態は、


あくまでも個人的人間関係性が希薄な「友達」=「知り合い」の域を超えない、


そして、一切の自己及び友人のプライベートな個人情報を公開・書き込みをしない、かつ、


職業等に関連する情報収集のみのツールと位置づけた形態ではないであろうか。

 


より具体的には、公開すべき個人情報は「氏名」「一部の学歴」に限定し、


書き込みも必要最小限にとどめ、書き込む場合でも「差しさわりのない」コメント等にとどめ

られるべきであろう。

 


「友達」の数が増えた今となっては友達と知人との截然化が不可能である利用者は、


御存じのことではあろうが、「グループ」(秘密)の作成を利用するのも一つの手段であろう。


ただし、これもリークされると様々な人間関係に影響を及ぼし解決が徒労する問題に発展


する可能性が高いことから、


気のおけない親友間、又は、特定用途に限定した利用に徹せられるべきであろう。

 

 


先日もfacebookが米マイクロソフトから約650件の特許を約450億円で買い取るとの合意


がなされたという報道がなされ、また、ナスダックへの上場も間近ということもあり、


企業収益の基幹事業は依然として広告宣伝事業であることを踏まえると、


今後、ますます、個々人が入力された情報に依拠したシステムが導入され、「えっ」と感じる


であろう「人と人」とがつなげられることになるであろう(自己の判断で「友達」にならなければ


よいだけのことではあるが)。


 

利便性の向上の恩恵をフリーで享受する以上、そのマイナス面(不測の事態)に対する備え

は利用者自身が個別に確立することが益々不可欠となっていくということであろう。

 


今回の件に類似した事態に備えて(ある程度の意に反する個人情報の流出を事前想定した


上)、日頃から対策を講じておく必要があるのであろう。

     


特に、「えっ」と感じる者から電話がかかってきた際、狼狽のあまりその場で電話を切らずに、


その場で「どこで電話番号を入手したのか」とはっきりと詰問できる心構えを養っておくなど…。


最良な環境作りに貢献する契機を逃さぬためにも。




                                               Kenichi yoneda

                

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